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こんにちは、平木柳太郎です。
この度は私のホームページをご覧いただき、誠にありがとうございます。

プロフィールは別に記載がありますが、政治家になるまでの経緯を含めて、自己紹介いたします。

私は1984年5月15日に富山で生まれました。
両親は富山県砺波市の出身で、父が黒部市に本社のある会社に勤めていた関係で、砺波市との中間地である富山市に住まいがありました。
貧しいわけではなく、とくべつ裕福でもないサラリーマン家庭で育った私は、優しく真面目な父と、友達の多い母と、3歳下の自由奔放な妹、ハムスターや猫と、平凡ですが幸せな子ども時代を過ごしました。

幼少時から体操、水泳、空手、サッカー、相撲、バレーボールと、多くの運動種目で鍛えた体で、怖いもの知らずなガキ大将でしたが、中学校で恩師に出会い、勉学にも励んだことで、生徒会長や部活動のキャプテン、県や市の海外訪問団代表、バレーボール県選抜の主将等、各種リーダーの役割を大学まで経験させてもらいました。

特別な挫折を経験することもなく東京の国立大学へ進学させてもらい、順調に大学を卒業したら、地元の中学校か高校で教員として働く予定でした。

ところが大学3年の終わり頃、新宿で開催された講演会に参加したことをキッカケに、「もっとチャレンジする人生」「他の人が選択しない人生」へと、大きく舵を切ることになります。
そして、「ふるさと富山を元気にしたい。そのために仲間たちが戻ってきたくなる富山にしたい」と大学4年生の時にUターン就職を決意しました。

富山で会社員として2年間働いた後、24歳で起業しました。学校の教師を目指していたことから、未来の子ども達に遺したい富山の姿を考えるようになりました。ビジネスという手段を使って、もっと大人の背中が輝くような環境を創るため、大人が学び会える場所やセミナー等を企画する会社を経営してきました。

27歳の時、富山県の青年議会実行委員となり、また自民党の政策コンテストに応募し、「政治とは、こういう使い方をするのか」と、生まれて初めて政治家、議員という仕事を意識しました。親族や近所に「政治家」の存在は無かったのですが、一般的には政治そのものが縁遠いものなのではないでしょうか。ましては自分自身が政治家になるという選択肢は、現実味がない話だと今も不思議に思っています。

政治家って、どうやってなるのかなと調べていた矢先に、「県議会議員の補欠選挙に出ないか?」と、自民党から声をかけてもらい、28歳になった2012年12月、富山県議会議員になりました。

細かな話は色々とありますが、そんな経緯で政治家になった私にとって、政治家(議員)は「生き方」ではなく「手段」です。大学3年生時から故郷である富山を元気にしたいという思いは変わらず、もっと大人の背中が輝けば、子ども達は夢を描いて成長できると信じていますし、そんな富山の姿を実現するために「政治という手段」は強く効果を発揮するものだと確信しています。

私には愛する妻がいて、元気な子どもがいます。家族から見て「政治家の仕事は素晴らしい」と思ってもらえるような毎日を過ごしたいですし、また家族がより幸せになるための仕事をしたいです。そのことが同世代を中心とした未来の富山を担う仲間たちの幸せへとつながると考えています。

生年月日
昭和59年5月15日
血液型・星座
B型 おうし座
趣味
バレーボール、フットサル、読書、歌
好きな言葉
自利利他
好きな作家
田坂広志、喜多川泰、嶋津良智、青木仁志、ジョン・グレイ
好きな音楽
B'z、サザンオールスターズ、TUBE、安全地帯、Mr.Children、浜田省吾
データ
身長179cm
体重80kg
足29cm

昭和59年~(幼少期)
平木家の長男として誕生。両親は砺波市出身(平木好春、水上智子)。父は野球、母はバスケットボールと両親とも運動が好きだったこともあり、幼少時より、体操、水泳、空手、サッカー、柔道、相撲と、運動に特化した教育を受けて育つ。母親曰く「何か運動させないと、体力を持て余して大変な子だったから」とのこと。
平成3年~(小学校期)
藤ノ木小学校では、スポーツ少年団サッカー部で主将。ディフェンダーとして県選抜チームにも選出。進んで勉強することはなく、お道具箱にはお菓子や武器が入っているような子どもだったが、得意の運動によって仲間と友好な関係を築く。小学校4年生から始めた相撲でも、北信越大会で入賞。
平成9年~(中学校・高校期)
藤ノ木中学校に入学し、バレーボール部に所属。恩師の強烈な指導を得て、人との接し方、目標達成方法、リーダーシップについて学ぶ。中学3年時には富山県選抜チームの主将に選出され、日本で最も背が低いエースとしてアクエリアスカップ(現JOC)に出場。富山県初となるベスト16へ導く。 生徒会長として創立10周年となる藤ノ木中学校を盛り上げるため活動し、アメリカ合衆国へ富山市学生交流団として派遣され、初めて海外での生活(ホームステイ)を経験する。 富山高校理数科に入学し、勉強についていけない日々。逃げるように生徒会へ入り、高校2年時に生徒会長を務めたことで、2度目の海外派遣。中華人民共和国(富山県から派遣)での視察を通し、世界の中で、日本の教育が異質であること、また外国の事例から多くを学べることを知り、東京学芸大学にて国際教育を専攻するキッカケを得る。
平成15年~(大学期)
東京学芸大学教育学部に入学し、各国の教育制度や問題を比較研究する国際教育を専攻。幼少時の教育が子どもの将来に最も大きな影響を与えることに行き着く。卒論執筆時には、身近な大人の姿が、子どもの成長にとって極めて重要であることを学び、大学4年生の時には大人向けのセミナー・講演会を150本以上も受講行脚する1年間を過ごす。ジェームス・スキナー氏、清水康一朗氏、鳥内浩一氏、嶋津良智氏など、現在まで師匠として教えを受けている方々との出会いを得る。 学業以外では、混声合唱団に所属し、3年時には団長に就任。東京大学・上智大学との3大学ジョイント・コンサートを開催。学習塾講師、ラーメン屋、お菓子屋など各種アルバイトを経験する。
平成19年~(社会人期)
株式会社アイバックに入社し、営業企画部に配属。富山市から呉西(県西部)を担当し、中小企業の人材採用に関するコンサルティング業務を行う。同時に、電話や面談を通して、延べ500人を越える学生の就職活動をサポート。 内定まではたどり着くが、就職サポートをした若手社会人から「思ってた会社と違って転職を考えている」「職場の人間関係が苦しい」など電話やメールが相次ぎ、就職後のケアこそが必要だと痛感する。
平成21年~(起業期)
富山で大人が学べる場作りを目指し、「すべての人に新たな学びを与える」ことをミッションとした株式会社LearnPut(ランプット)を設立。代表取締役に就任。大人が学ぶ空間を提供するため、街なかサロンのポエシア・ブランカ運営に携わる。県内外のセミナー講師に働きかけ、毎月30本を超えるセミナーを開催する一方、社員研修や各種講演も行い、社内外で大人が学べる環境づくりに事業を集中する。 その後、学ぶ大人が通える成長空間を、地方の現状にマッチした事業とするため、LiTa Club(リタ・クラブ)を設立。会員制自習室とシェアオフィス、貸し会議室などを併設する複合型の教育施設として、地方らしい学び方を提案。社会起業家として、経済産業省主催のソーシャルビジネスメッセに出展。
平成24年~(議員期)
平成24年12月16日の富山県議会議員補欠選挙において出馬し当選。48,133票を得る。富山県史上では最年少の28歳で県議会議員となる。自由民主党に所属。
平成27年~(議員2任期目〜)
平成27年4月12日執行の富山県議会議員選挙において当選。8,037票を得る。議員第2任期目の活動に取り組みはじめる。

そして現在!